映画「まく子」の感想ネタバレ|土星の近くの星という設定の理由とラストを解説

映画「まく子」の感想ネタバレ|土星の近くの星という設定の理由とラストを解説

映画「まく子」を観て、突然なんで宇宙人の女の子という設定なのか不思議に思いませんでしたか?

ただの宇宙人ではなく、土星の近くの星という設定であったことにはどのような理由があるのでしょうか?

作品の概要や感想とともに、その謎に迫りたいと思います。

作品情報

映画「まく子」のあらすじ

ひなびた温泉街の旅館の息子サトシは、小学5年生。

自分の体の変化に悩み、女好きの父親に反感を抱いていた。

ある日、美しい少女コズエが転入してくる。言動がどこか不思議なコズエに最初は困惑していたサトシだったが、次第に彼女に魅せられていく。

そして「ある星から来たの。」と信じがたい秘密を打ち明けられる。

枯葉や紙の花楽しそうにまくコズエが、やがて町の人々みんなにまいたものとは・・・。

(パンフレットより)

監督・脚本・原作

監督・脚本鶴岡慧子。1988年生まれの30歳!

原作西加奈子。本作は直木賞受賞後の一作目。

登場人物紹介

サトシ(山﨑光)・・・浮気者の父親を嫌う思春期真っ只中の小学5年生。

コズエ(新音)・・・なんでも撒き散らすのが好きな不思議な転入生。

光一(草彅剛)・・・サトシの父で旅館の料理長。浮気者。

明美(須藤理彩)・・・サトシの母で旅館の女将。光一の浮気に気づいているが何も言えない。

映画「まく子」の感想ネタバレ

映画「まく子」を観ての感想ネタバレと土星の近くの星から来た宇宙人という設定の理由などの考察をお伝えします。

女性は観れば「知らなかった男の子の葛藤」を知ることができる

この作品は小学5年生の男の子が自分の身体と心の変化に葛藤する、その思春期の大人への成長を描いた作品です。

残念ながら私には思春期の男の子の成長として、リアルには感じられずに違和感が強くありました。

その要因として原作も監督・脚本も女性だというとことがあるのかなと思いました。

パンフレットにも監督の言葉として、「自身が30歳を迎え、母親としての価値観を甥っ子を見るうちに抱くようになった」と語っています。

SNSの感想でも、「男の子の思春期の葛藤を知ることができてよかった」という女性のコメントが多くありました。

 

女性にとっては自身が経験してこなかった思春期の様子を知ることができる作品としても価値がある作品なのでしょう。

母親という価値観を意識したことのある女性は特にこの作品から感じ取れるものがあったのだと思います。

乗り越える強さや死生観を与えてくれる

コズエは土星の近くの星から死を学ぶために地球にやってきた宇宙人です。

彼女が枯葉や紙の花を拾い集めては空に撒き、その落ちる様子を楽しむ。

というシーンが何度も出てきます。

それまでコズエはその行為を単純に楽しいと思っていましたが、物語の後半でその行為の何が魅力なのかを理解します。

「どうしてこうして撒くのが楽しいか分かった。

 全部落ちるからだ!全部落ちるんだよ、サトシ。

 ずっとずっと飛んでたらこんなにきれいじゃない!

この言葉には二つの問いの答えが含まれています。

一つはコズエが地球にやってきて学んだ死の意味

もう一つはサトシの悩みに対する答え

このシーンはすごく感動的で素晴らしいなと感じました。

ただ、できればこれで終わって欲しかった・・・。

男子の第2次性徴期を弄んだ作品

主人公サトシが心だけでなく、第2次性徴期の身体的な変化を受け入れ、乗り越えることもこの作品の軸の一つです。

夢精してこっそりパンツを洗ったり、金玉に毛が生えてくることに悩む描写があります。

実体験がある男性にしみれば、ステレオタイプ的なこれらの描写に「なんでこんなものを見せられないといけないんだ?」という気持ちしかしませんでした。

「こんなだったか?俺ら」という気持ちが強く、原作も監督・脚本も女性なので、男子の第2次性徴期をただ弄んだだけにしか感じられず気持ち悪かったです。

また、浮気者の父との距離感にも違和感を覚えました。

大人の男になりたくないと思わせる心理的な要因として浮気者の父の存在があります。

それなのに、その父が素手で握ったおにぎりを平然と食べられていることが理解できませんでした。

この辺りは手を出さないで欲しかったですね。

土星の近くの星から来たという設定の理由は?

主人公サトシが身体と心の変化を受け入れるきっかけとなる転入生の女子児童・コズエ。

彼女は土星の近くの星からやってきた宇宙人です。

土星の近くの星の生命体は永遠の命を持っており、そのせいで数が増えすぎたため、死という概念を取り入れて数の均衡を図ろうかという案が出た。

そこで、死という概念を持つ地球の人間を観察しにきやってきたのがコズエだといいます。

なぜ土星の近くの星なのか?

作品を観ている時から、なんであえて具体的に「土星の近く」という設定をしているのかと疑問に思いました。

もしかすると意味は特にないかもしれませんが、あえて「なぜ土星の近くの星からきた宇宙人という設定にしたのか?」を考えてみましょう。

土星の位置はどのあたり?

まずは、基本的なことから確認してみましょう。

土星は太陽系の惑星の一つで、木星の次に大きな惑星です。

土星の環というリングを持つことでも有名です。

土星の衛星には生命体がいる?

コズエは言うなれば、宇宙人です。

土星の近くの星にも宇宙人がいるという話があるのでしょうか?

 

土星には60個以上の衛星があり、最大の衛星タイタンがあります。

タイタンは太陽系で唯一分厚い大気を持つ衛星で、表面には湖を持つ衛星です。

タイタンの地表では放射性崩壊が多く起きています。

このことから、タイタンにはかつて何者かが住んでおり核エネルギーを利用していたのではないかとも言われています。

 

この他にエンケラドゥスという衛星があり、ここでは微生物が存在する可能性があると言われています。

土星の語源にヒントがある?

土星は英語でサターンといいます。

これはローマ神話の農耕神サターンからつけられました。

サターンは農耕神であると同時に、時を司る神としても扱われていたそうです。

コズエが学ぼうとしていたことは死であり、永遠の命を終わらせるということ。

死生観は時間という概念とつながりがあることを考えれば、「土星」を絡めた理由の一つと考えられます。

映画「まく子」のラストを解説

サイセ祭りの意味とは?

サトシたちの住む街では年に一回「サイセ祭り」が行われます。小学校のクラスごとにお神輿を作ります。

それをクラスのみんなで担いで街を練り歩き河原へと向かいます。

そして、大人たちが河原の御神岩とでも言うべき大きな岩に「サイセ」という掛け声をかけながらぶつけて壊し、全てを燃やし尽くします。

 

今まで何度も自分たちのお神輿が取り壊される光景を見てきたサトシでしたが、この年はそれに耐えられませんでした。

いよいよ自分たちのクラスのお神輿が壊される番になったとき、サトシの気持ちを汲むかのように街でボヤ騒ぎが起きて祭りは中止になり、お神輿はそのまま河原に置いたままに。

ボヤはサトシの住む旅館で起きましたが、犯人を見つけることはできませんでした。

コズエがサトシたち人間から学んだ2つの「死の意味」

コズエはサトシたちとクラス中で、2つの「死の意味」を理解しました。

一つは成長し変化していき、いつか必ず命は終わりを迎えるからこそ美しいということ。

 

そしてもう一つの意味をサトシと一緒に中止されて河原に置いたままになっていた自分たちのクラスのお神輿を壊すときに理解します。

サトシはサイセ祭りを野蛮な祭りだと思いました。

しかし、サイセ祭りのサイセとは「再生」のことであり、命の再生を願うお祭りだったのです。

いつかはどんな命も終わりを迎え、消えてしまう。でも消えて終わりじゃなくて再生することができるんだという願いの祭りだったのです。

コズエの帰還と新たな転入生

コズエは2つの「死の意味」を理解したことで、土星の近くの星に帰還することになりました。

そんなお別れの日に今まで関わった街の全ての人に、コズエは幸せを撒いて去っていきます。

そしてコズエの帰還後まもなく、新しい転入生がサトシたちのクラスにやってきます。

なんとその子こそサトシの住む旅館に火を点け、ボヤ騒ぎを起こした犯人だったのです。

サトシは騒ぎを起こした理由や彼女の家庭環境を聞き、怒るでもなくコズエにしたように、そしてコズエがしてくれたように、彼女にとっての「まく子」として幸せを撒きはじめます。

 

まとめ:映画「まく子」の感想ネタバレ|土星の近くの星という設定の理由とラストを解説

女性には「知らなかった男の子の葛藤」を知ることができる

男性には実体験と乖離していることに違和感が強いので、あまりお勧めできませんが女性には特に見る価値がある作品です。

特に母親を意識したことのある女性には、また違った見方ができることと思います。

乗り越える強さや死生観を与えてくれる

原作の西加奈子が「喪失がときに人々に勇気や希望を与えるというテーマを描きたかった」と言っています。

土星の近くの星から来たという設定の理由は?

土星の衛星にはタイタンなどの生命体がいる可能性があったり、人間が移住することもできそうな星が存在します。

このあたりも、一つのリアリティとしてコズエを土星の近くの星から来たという設定にした理由と言えそうです。

 

草彅剛の演技は少ししかない役ながらも素晴らしかったです。

ふと、ひなびた温泉街とはいえ平成30年の3月ごろの日本が舞台ということを考えると、もう少し小学生たちは全体的に大人びているのじゃないか?などと思ってしまいました。